2004年04月17日
想像力の欠如[ ]
イラクで拘束されていた邦人が解放されたと言うニュースが流れています。
まずは良かったですね(^^)
その後、保護された方々はイラクに関する活動を続けると発言しており、またこれに対して小泉首相が不快感を示していますね。
これ以外に「人質解放の費用公表を」 政府・与党に自己責任問う声、人質事件で「自己責任」論 渡航禁止法求める声もと言うものがあり、これを読むといかに個人と言うものが尊重された日本と言えども、それは国家の枠組みを出ることは出来ず、日本人として、、、それは自分がいくら日本人以前に個人である事を優先しようとしても、やはり日本人であると言う枠組を考えねばならないと言う事を痛感させられます。
自分が拒否しようと何をしようと、日本人である限り、そういった国家の庇護の元にある事は避けられない事実と言えるかと。逆に、国家としては庇護せねばならないからこそ、こういう発言になるのかと思う。
もっとも、政府の過剰なる干渉に関しては人質の「自己責任」批判にフリー記者が緊急集会で反論と言う行動も起きています。
聖書に曰く、人はパンのみで生きるにはあらずとあるが、まさにそうだと思う。
生命の危険が排除されると言うのは非常に重要な事ではあるが、それだけで自分の信念を曲げてイラクに行くな!と言われても、それは出来ない場合もあるでしょう。
共に想像力が足りないと思う。
個人として組織の一員として生きている事、生きていくことを考えなければいけない。
まとめとするとイラク邦人人質解放 私はこう見るなどが的を射ているのではないだろうか。
そう言えば、アメリカのケネディ大統領は、「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」と言う言葉を残している。
これは、国家という共同体が成り立つためには、その構成員が、それぞれ国家のために、お互いのために何かをしよう、という自助と互助の精神が不可欠であり、それがあってこそ、国が成り立ち、その中で国民は自由と豊かさを味わうことができる、と言う事を意味している。
普段、何気なく「自分は自由である!」と言う事を高らかに歌う事が出来るのも、そういう基盤があるからこそ。
何気なく、人から助けを受けて、また自分も人を助けている。そしてそういう世界を守っていかないと。
世は有事関連法案等の問題もあるし、そもそも憲法第9条に対して自衛隊の存在はどうなのか?と言う問題。
そして、色々な所での反対運動…
色々な事を自分で考えていかなければいけない。
しかし、単にやる事に反対する事は簡単。本当の意味で考えることは難しい。
…つ縲怩ゥね。政治の話って書きたくなかったんだけどね。様々な考え方があって、しばしばぶつかりあう部分だから。
でも、皇帝φ機構@4/16 http://www.emperorsystem.net/ やIPPANJIN.com@4/17 http://www.ippanjin.com/を見ていたら書きたくなってしまった訳よ。
思っていても言ってはいけない事ってもある!ってね(^^;;
[追記]Jack o' Lantan@4/15 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/3388/ ここにも同様の記事が。
人が迷惑をかけたのはそれはそれで考えなくてはいけない事だけど、迷惑をかける様な人だったら「死んでもいいんですか?」と問いたい。
短絡的な思考をしてしまっている彼らが逆に恐ろしいです(4/18追記)
正直な所を書くと、自分でもこういった事は決めつけたくないので、個々人に振る形にしているけど、やはり国家の中の個人であるけれども個人としてその意志は尊重されたいと考えている。
まあ、基本的には「縛るな!」と言いたいのだけれど、それは自分が国家の手を煩わせないと思っているからかも。
# もっとも国がどれだけの事をしてくれるのか…と期待していない部分もあり(^^;;
様々な人がいるから国は管理をしたくなるんだろうけど、多様だからこそ面白いと言う事実を忘れてしまうとね(笑)