2004年07月23日
麻痺[ ]
実はですね縲怐Bって、実はも何もないのですが、トップページにはカウンタがつけてあります。
昔はこれだけの人が来てくれた縲怩ネんて、カウンタを見て一喜一憂していたのですが、今ではキリ番のチェックすら忘れていて、あとで概算で計算をして、この日にキリ番があったに違いない!なんて言う始末(笑)
ところで、購入しているCDはもはや数が多くなりすぎて、ああ、あのCDね、買っている筈なんだけど、どこにあるのか分からない…
そして、CDの枚数がある一定数を越えた頃から、自室の掃除をしなくなりました。
もはや整理できないし…
…親に言わせると、昔は整理整頓していたのにいつからこうなったんでしょう。。。との事で(^^;
そういう訳で…人は自分の処理能力を越える情報に接すると、その事柄を放棄するのかな?なんて。
カウンタも万の単位を越えると、万なんて実感わきませんし、CDだって物理的に置く場所が。そして買ったかどうかも分からなくなり間違えて同じCDが…。そして、置く場所がなくなると、部屋も荒れる…。
でもって、情報を管理すると言う観点で、昔はHDDの様な記憶媒体を自分の外部端末としてつけることができたら便利かなぁ縲怩ネんて考えていたときもありました。
いろいろな情報をすぐに引き出せたら便利でしょう!
…でも、ホントに便利なんでしょうかねぇ縲怐B
いや、人はそんなに便利な存在である必要があるんでしょうか。
やっぱり画一化を嫌うところがあるんでしょうね、自分の場合。自分が自分らしくあるためには、人と違うところが必要なんですね。そういうものは知識ではなく、智慧と言う部分。知識を自分なりにどう料理するかがらしさではないかと。
そして、ある一定を越えると麻痺出来る保護機能と言うのがなんとも素晴らしい!
パソコンなんて過負荷かけたら暴走してしまいますけど、人間のセーフフェイルシステムは良く出来たものです。天然のそんな機構を備えているってすてきですね。
でも裏っかえせばそういう機能がなければ生きることが出来ない世界、麻痺する事を機能として持たなければならなかった世界に生きている…って事ですか?ある意味、不幸かも。。。