2004年09月15日
必殺仕事人[ ]
…あ縲怐Aもう、昨日は帰ってきてから爆睡。19時頃からもう意識無かったですよ。。。
そんなに疲れているのかな…
さて、池田小学校での児童殺傷事件を起こした、宅間守死刑囚の死刑が執行されたとの事で、死刑の確定から1年余りでの執行は非常に珍しく、遺族の感情に配慮した結果ではないか?との事です。
…が、本当にそうなんでしょうかねぇ縲怐B
某人気(?)ドラマに必殺仕事人と言うものがありました。
悪巧みをして私腹を肥やしていた悪人を恨みつつ死んでいった者の恨みを仕事人がその悪人を殺す事ではらすと言うもの。
でも、殺される方は何で殺されるのかも分からず単に殺されるだけ。
反省する事も、死の恐怖に打ち震えることもなく、ただ単に「死」と言う事実を突きつけられるだけ。
社会的にはその人物がいなくなったと言う事実が残るだけ。
…本当に恨みは晴れるのでしょうか?
今回の事件は本人は反省する事もなかったと報道されていますが、例えどんな人でも生きている事に意味があるとは思うのです。
反省してくれる事にこした事はありませんが、殺してしまったらホント、何にも残らない。
今回、死刑が執行されて、遺族の感情は落ち着いたのでしょうか?今まで「許すことは出来ない!早期の死刑執行を望む」と言っていたにしても、今度はもうその感情の持って行き場がなくなってしまいました。恨む先、憎む先を失ってしまったと思うのです。死人を恨んだって何も起こらないですから。今後は自分の中でグルグルと渦巻く恨み辛みをどこへはき出したらいいのでしょう?「目には目を、歯には歯を」と昔の教典は言いますけど、命を命で贖っても何も残らない。虚しさだけがただよう様な気がします。
…と考えるのは直接の被害者ではないからでしょうか。
「殺したい!」と思う対象もまた「命」なんですよね。命を失う事の辛さを最も良く分かっている人が死刑を望む…なんとも矛盾した悲しい世の中です。