2004年12月02日
境界線[ ]
長野県山口村の合併に関する議題は今日の県会議では提案されなかったそうだ。
山口村は長野県の心の故郷である島崎藤村の出身地で、馬篭宿を有する場所だそうで、今まで手塩にかけて(?)育ててきたものを失うのが怖い…のだろうか?
お役人の頭の中には長野県と岐阜県と言う境界が明確にあるのだろうが、一般人の私などは何気に国道19号を走っていたらいつのまにか岐阜県…って程度の認識でそこには境界はありません。
中国が日本の領海侵犯をしたそうな。でも、、、海のどこに境界線があるんだろう…
地球上のどこを見回してみても境界線なんてものはあるわけが無く、人の心の中にのみ境界線が存在する。
それは自己と他者を分けるものだったり、国を分けるものだったり、宗教を分けるものだったり、思想を分けるものだったりするけれども、全て作り出しているのは人。元々は弱者が生きていくための智恵だったのではないかと思う。
自己側と他者側と言う境界を引き、自己側で一致団結し、他者に立ち向かう…と。
そしてその世界はそんなに大きくないが故にまとまる事が出来た。小さな、反目する事が無いような大きさのコミュニティで団結し、大きな世界に向かっていた…。
しかし、今や時はグローバルになり、人が一日に移動できる距離は飛躍的に増大し、昔は小さなコミュニティで自給自足してた世界が大きなコミュニティ同士でのやりとりになり、自給自足は崩壊した。
言うなれば、自分ではその気がなくても既に更に大きな(国を越える)コミュニティに参加しているのだ。
先日の新潟中越地震を考えてもらうと、ライフラインが寸断された世界がどうなるか分かると思う。
既にあの地域で世界は完結していない。他からの物品が無いとまともに生活できないのだ。
目には見えない部分でグローバル化は生活を浸食して来ている。
そんな現実を見ようとしないで、小さな世界で境界線を引こうとしている人間。小さな世界は人間の心そのものかも知れない。