2005年12月16日
死というものについて[ ]
今まで、私が立ち会った死と言うものはそんなに多くない。
・祖父母
・飼っていた犬
・同窓生
・職場の知り合い
くらいだろうか?
祖父母、飼っていた犬については年齢も高く、大往生という所もあり、やむを得ないかな?とも思う。
同窓生については、大学の時に同じ学科の人が交通事故で亡くなった事があった。大通りに出るときに一時停止不履行で右折した所、直進車と追突したものだ。ただ、私はこの人と面識がなく、実感が湧かなかったと言うのが事実だ。大学の同じ学部の学科なんて、ある意味「クラス」でもあるのだけれど、当時の私はそういった中を見回す余裕もなかったのだ。
職場の知り合いについては、同じ部署で働いたことはないため、やはり面識というものがあった訳ではないのだが、親と同じ部署で働いていた事があり、挨拶をした事があった。この方はどうやら自殺をしてしまった様で、なんともやるせない気持ちだ。
そして今回、知っているアニカラ仲間(と言うほど知っている訳ではない)が、亡くなった。直接会ったことが一回あるのだが、同じ部屋で唄わなかった事もあり顔は覚えていない。ネット上では一回だけそちらの掲示板に書き込んだことがあるだけの関係で、その程度の関係なのだが、やはり同年代(?)で、同じ趣味の人が亡くなると言う寂しさと言うものは痛感する。この方は仕事中に倒れてそのまま逝ってしまった様で、ふっとそこで絶たれた命だ。
サイトの運営もやっていて、これから色々と拡充して行ったろうに、もはやそこには本来そうなる可能性だった未来はなく、更新が止まったサイトが今後も、、、相当の年数単に存在し続けるのだろう。そんな事を自分、あるいは身近に置き換えて考えてみる…。
明日があると必ずしも確約されている訳でない事をひしひしと実感する。
老いによる死には心の準備が出来るものの、突如訪れる死と言うものに人は準備出来るのだろうか?でも、しておかないと、残された人が辛すぎる…のだろう。