2006年03月17日
ネットの存在[ ]
連れが熱を出して寝込んでいます。でもって、おもしろいことを言っていました。
σ(゜∀゜ オイラが連れの掲示板に熱を出して寝込んでいるという状況を書き込みまして、それに対して「誰からもレスがなかったらどうしよう…と思った」と、また「気がつくと、そういったレスを望む状況になっていた。危ない、危ない…」と。
ネットって、時間と場所を超越出来るツールだったはず。そういうツールであればこそ、本来は離れていて接点のない間柄であっても、やりとりが出来る。だから、上述した事柄って普通にネット上の相手に対して望んでもいい事なんじゃないかな?と思う。
それほど、書き込みにより相手の状況を把握するのは簡単だし、レスをするのも書き込む手間だけが必要で、それ以上の事は必要とされないから。
でも、そういった書き込みが出来ない、しないって言うのは、所詮ネットの関係が希薄だからなのではないか?と思う。ネットの関係は都合のいいとこ取りが出来るのだ。自分の都合の良い時に訪れることが出来、都合のいい書き込みにレスをし、都合のいいときだけオフ会をする。そんな事が出来る。だから、ネットの関係は自分に利する事だけに顔を出すことが出来て、手間がかかる事は避けて通る事が出来る。
そんな関係の延長だから、、、なんて考えるのは邪推という物だろうか?
σ(゜∀゜ オイラは今はネットには期待していない。
昔は期待して期待して…
攻殻機動隊の様な感じで、ネットの世界に精神をダイブさせてその世界を漂う… 現実的にはそんなことは出来ないのだけれど、それほどの情報量を持ち、それだけの価値がある世界だと思っていた。
しかし、現実には情報量こそ多いかも知れないが、その情報は特定の者だけにより提供され、議論というものは尽くされず、単に存在するのみ。要は情報に深みが生まれない。それぞれがそれぞれに単独で存在するのみなのだ。
それぞれの情報が絡まり深みを作って行くためには人間の関わりが発生する。しかし、それは人間同士の議論であったりし、人間味のある…ネット上のドライな関係以上の関わりをしなければならない。それはそういった決意のある者しか望まず、また、望まないとそんな関係にはならない様に思う。
便利な関係というのは非常に楽で、楽しいだろう。
でも、そんな関係だけではだんだんと物足りなくなってくる。
次のステップをネットで実現させるのはなんと大変なことか。