« Tarte+ | メイン | 燃え尽き »

終わりよければ全てよし

2006年08月12日

終わりよければ全てよし
[ ]

なんて言葉があったりする。
ところで、某エロゲのAIRは最後は幸せな記憶を…なんてやっていたりする。

人は因果な生き物で、未来へ向かってしか生きていくことが出来ない。その世界の中では、過去から現在へ、現在から未来へ…と時の流れがあり、それに逆らうことは出来ない。
そういった時の中で生きていると、必然的に過去より現在が、現在と同じくらい未来が重要となる。過去の存在というものは現在を形成する上で非常に重要な構成要素だったと言える。そう、「だった」と過去形で述べているのは既に現在が形成されてしまっているからであり、形成する過程では重要な要素だったが、形成されてしまうとその重要性は薄れ、いわゆる「思い出」という形でしか存在しなくなってしまう。

すると、その思い出がいくら美しいものであったとしても、現在が辛い状態であれば、その思い出などはもう思い出されるものではなく、辛い現在を構成する上で、一時的に美しかった過去にしかすぎなくなってしまう。
つまり、現在が辛ければ過去に楽しいときがあったとしても、もはやそれは遠い存在にすぎないのではないか?ということだ。

さて、ここで最初の言葉に戻ろう。
終わりよければ全てよしとは、その課程でいくら辛いこと、理不尽な事があったとしても、最後にうまくまとまれば、その課程の辛い事ですら美しい思い出に変じてしまう。…実際は美しい思い出にはならないかもしれないが、現在の喜びの方が大きいため、過去のつらさというものは思い出される事もなくなってしまうということではないか?

結局、人は現在にのみ生きる生物であり、過去の記憶というものは薄れやすいということではないかと思う。辛いこと楽しいこと、どんな事であれ過去の事は失われやすい。とかく目がいきがちなのは現在なのだ。

Posted by りじんぐ at 06:11

About

2006年08月12日 06:11に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「Tarte+」です。

次の投稿は「燃え尽き」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type