2012年01月01日
ボランティア 雑感[ ]
高速道路で行きましたが、バスが福島、宮城へと入っていくに従って、屋根にブルーシートを載せた家が多くなりました。
津波の被害こそなかったものの、地震により屋根がズレてしまい、その修理が間に合っていない家なのでしょう。
だんだんと震災の影響が見えつつも、町の中は特に変わりがないように見受けられました。
バスの社内でも、多賀城市の被災状況等を上映していましたが、その多賀城市についても、現在は被害状況というのはパッと見、見受けられませんでした。時々曲がったフェンス等があり、ここまで津波が来たのかな?と思わせる程度です。
さて、ボランティア作業場付近に近づいてくると、田んぼ内に放置された自動車、破壊されたままの建物、山積みになったガレキ…と、被害の爪あとが残ったままの姿が…。
未だ手がついていないガレキの山
ガレキをまとめる所までは来たが、収集出来ていないガレキの山
車も放置されています
基礎しか残っていない家
収集されて山積みになっているガレキ
ボランティアの作業内容としては、前述のとおりです。
初日の花壇作りについては、公園内の花壇でもあり、子どもが裸足でもいいようにしたい…との事でしたが、ガラス片が出るわ出るわ。正直、いつまでやっても終わらない作業。
この日の作業は時間切れで終わりましたが、花壇を作るだけとは言え、どれだけの人員と時間がかかるのでしょう?
中途半端な状態で終了しまして、続きは次にここを訪れたボランティアへと託されました。
翌日の松林内のガレキ撤去については、松林が生活上重要な場所ではないということもあってか、かなりの数のガレキが散乱したままとなっていました。
津波で倒された松、流れ着いた建材等を分別しながら道路際にまとめます。
更にそのまとめられたガレキを本集積場に集めます。これもまた、終わりません。だいぶ道路際に集めることは出来ましたが、本集積所に全てをまとめることは出来ませんでした。
こちらも続きは次のボランティアに託されました。
作業場の松林
収集したガレキ
山積みとなりました
最終日は個人宅の草取りを行いました。これは、草を取った後にガラス片等の撤去をしたいという目的と、何もなくなってしまったけれど、綺麗になった敷地を見て、被災者の方に気持ちを新たに再出発してもらいたいという意図があるものと思います。
ひたすら草取りをして、ほぼ草がなくなったところで午前中が終了。
午後は引き続きガレキ撤去との事でしたが、当方は午後のグループに託して終了となりました。
最後の日の会場付近もやっぱり基礎だけの家が…。残った家も補修工事をしていました
まだまだガレキが…
作業をやっていてですが「ガレキ等があったら、道端に出しておいてください、次に通った人が拾いますから」というガイドがありました。
終わらないって事が分かっているんですね。今日、ここで全てを終えるのではなくて、出来る範囲で作業を行い、不完全でもいいから次の人にバトンタッチをしていく事が重要だという意味だと思います。
今回参加した日のボランティアの人数ですが、二日目は250人、最終日は230人が参加していていました。
以下はボランティアセンター内の様子です。様々な地から様々な人が訪れています。
朝のマッチングの時は人がごった返します
ガンバロウメッセージ
# あまりガンバロウと言われるのも辛いと思いますが…
当日の作業内容振り分け
ボランティア作業用の道具が沢山
# でも、基本は自分で持ってくるものですよ!私はフル装備で行きました
なんとも淋しい災害物資輸送車両(?)
団体さんも各地から参集しており、12/10は、駿河台大学、三菱マテリアル、日本通運、丸紅、レスキューストックヤード、東京下町、八王子NPO、習志野からの方等の大型バスが来ていました。
結構遠くからも来ています。
また、12/11は七里ヶ浜応援隊、クラーク国際高校、駿河台大学、仙台トラック協会、チームレスキュー他と沢山のグループが。
ゴールデンウィーク以降、ボランティアの人数が減ったとは聞きましたが、遠くからも結構来ているのだな…と。
ただ、団体参加ではない個人参加のボランティアは、12/10は相当数いたのにたいし、12/11は13人あまり。日曜は休みたいという意識を反映してか、かなり少ないものとなっていました。
そんな中で作業をやっていて思いましたが、これだけの人員を投入しても、全て終わる日はそうそう来ないのだろうという事でした。
つまり、ある程度の所で妥協するしかないという事です。細く長く続けていかないといけない作業かな?と思います。
一人一人の力は本当に小さいものです。そういったものを繋いでいっても、たかが知れています。
それでも繋げていかないと何も終わらないのです。。。