2006年09月12日
金[ ]
むかし、自分の趣味がまだ確立しない頃、お金を貯めるのがささやかな楽しみだった。特に会社勤めしていた頃は、自由な時間は殆どないが、お金はホント、たくさん入ってきた。当時の手取りで30万円以上の収入は未だ追いつくことが出来ていない。
当時は月に10万、20万という単位で貯金をしていて、その貯金状況のグラフなんかを作ったりしてこの調子であれば何年で何万円貯まるな…なんて皮算用をしていたものだ。
いつしかそんな時代も終わり、それなりにお金を貯めるが、そんなにはお金に固執する事はなくなった。
今回、自分の財形貯蓄の月々の積立金額の変更をしていて、ふと、何年でいくら貯まるかな?と計算している自分がいる事に気が付いた。
「お金」…なんという魅惑的な響きなのだろう。生きるための目的を見つけるのが非常に難しいこの世の中で、「とりあえず」の目的となる事が出来る「お金」。お金があっても使わないし、使えない(性格的に)と言うのにも関わらず、とりあえずお金を貯めるという目的というのは非常にわかりやすく、それなりにやりがいもあり、人生の目的にすらなりうる。
そんな原点に戻っている自分を発見し、ああ、、、自分は結局の所生きる目的というものが明確にはなりえないのだなぁ…と痛感。目的が明確ではないからこそ、とりあえずお金を増やしておけば今後も困らないし、いざという時になんとかなる。かと言って、お金が増えると言うことは単に数字が増えると言うことだけであり、それそのものはなんの意味もないのだが、そういった事に力を入れてしまうほど、目の前にやりたい事がないという事なのだろう。
今はCDを買うこともなくなり、お金を使うことはなくなった。放っておけば月々の食費とガソリン代くらいしか使うことがない。何か買ってみたい…とも思うのだが、買ったところでそれを使いこなす程の時間も得られないし、買う必要性も見いだせない。
しかし貯めずにはいられない…。それほど私の人生は無機的なのか?
だんだんと旅行が趣味とか、美味しいものを食べることが趣味、登山が趣味…そんな気持が分かるようになって来た30代も半ばの今日この頃。