2006年11月28日
今後のコンピューターの行き先について[ ]
人間の世界というのはある意味、人間性なんていうものは考慮していない世界で、人は人間社会の歯車として生きているのが実際の現実であると思う。
材料を作る人、加工する人、組み立てる人、流通させる人、販売する人、経理をする人…、全てが同じ人でされることはまずなく、それぞれを担当する人がいて、同じ仕事を延々としつつ、社会が成り立っている。
この社会はどこへ行く…という方向性こそ持っていないが、一つの生命体であるかのように活動をしており、この工程のいずれかが止まっただけでもその機能は麻痺する可能性がある。
人はこの様に、社会に組み込まれてしまった生き物なのであるが、それでも人は自分の個性が尊重されることを願い、祈り、生きている生命だと言ってもよいだろう。
人の集合体である社会では人の可能性は個人の可能性を超えていて、一個の個人ではなしえないことを成し遂げている。集まることで、大きく次の一歩を踏み出しているのである。
これは、個性というものを失うことで、次の領域にたどり着いたというひとつの例だと思う。
さて、この様なことを考えるに、次代のパソコンはやっぱり並列型になっていくのだろうな…と思う。一人の人が判断し計算することはその人がいっくら達人であろうと、その個人の領域を出ることが出来ず、複数の人が分担を行い、判断し計算することで、速度の向上が図られ、計算能力の飛躍がなされるだろう。計算のことだけに限らず、思考というものを考えるとき、今、よきサンプルとなるのはこの人間社会ではないかと思う。様々な異なったベクトルを持ったものがそれぞれに動くが、それを集約していくことで新しい方向性が生まれ、考えが発展するのではないか?と。