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羽生同年代

2009年08月19日

羽生同年代
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将棋の羽生善治。昔から将棋が好きだったので、彼が奨励会にいる間から、名前は知っていて、将来大物になるという評判が高かった。
今や、だいぶ遠くへ行ってしまった様な気がするが、同い年なんだな。

さて、日経ビジネスオンラインはよく読むコラムなのだが、その中の書評、羽生かく語る。将棋と経済に共通する『勝ち続ける力』 ~飽和点でひらめくヒケツ:日経ビジネスオンラインの中に興味深い一文があった。

「勝つためには忘れる努力が必要です」

「記憶力は、プライオリティ低いですよ。いま、コンピュータがたくさんあるでしょう。だから、いいんじゃないですかね、人間は、覚えなくても(笑)。もう、人間は原始の姿に戻ればいいんです」

「前例のようなものをすべてきれいさっぱり忘れるか、頭の片隅に置いておくぐらいにするか。まっさらな状態で、先入観なしで見ることが、一番重要でしょう」

「飛躍的なことや突発的で突飛なことができなくなってしまうんですよ」

以前、羽生がランダムに駒が配置された将棋の対局をしていた事があった。
駒の位置がランダムだとかなり戸惑うに違いない。しかし、柔軟な指してで相手を圧倒していた。
普通にやっていては考えつかないことがどんどんと生まれてくる、この羽生の行動と、先の羽生の言葉が見事にリンクした様に思えた。

羽生がこの心境にまで達したのは常識的な事を頭にたたき込み、努力の末に辿り着いたからに他ならない。私のような者が、その言葉尻だけとらえて真似しても意味はないと考えるが、色眼鏡なしに物事を見ることが出来る眼というものくらいは努力出来そうだ。

Posted by りじんぐ at 20:14

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