2010年04月01日
まだ遅くない。[ ]
先日、山に住んでいる祖父のところに行ってきたわけですよ。
もう、90歳をまわった年齢です。
で、まあ、色々と話してきたわけですが、その中でふっと留めておきたい言葉がありましたので、忘れないようにメモです。
更にお昼はお昼寝の時間がある…という、まあ、典型的な農家なんです。
お茶の時間が「ある/ない」というのは直接的に原因なのかどうかは分かりませんし、それはどうでもいいのです。
一番重要なのは、生活スタイルというのがどんどんと変わってきていて、新しく得るものがある代わりに失うものもあるということを痛感したことです。
生活スタイルを改めて振り返ってみると、そんな農家で育ったはずの私も、通学・通勤のために核家族化という道を歩みまして、親と共に山を降りて暮らすようになりました。当然、お茶の時間なんてなくなりまして、一家団欒ということもなく、食事が終わったら部屋に篭る…という生活になりました。
考えてみれば、親と話をしなくなったのっていつからでしょう…
接点が少なくなればなるほど、当然会話というものも減るようになりますね。
そんな我が身を振り返りつつ、今の世の家庭というのはどうなっているのかな?と考えると、昔の生活とはだいぶ変わってしまったのだろうな…と思います。昔が必ずしも良かったというつもりはありませんが、だんだんと個人主義になってきて、「個」の時間を重要視する様になってきていると思います。
そして、そうやって徐々に変わってきているベルトの上に乗って流されていると、変わってきていることを変化として認識して行動するのではなく、当たり前のことと、その時間軸の中では認識するのではないでしょうか。
改めて、だいぶ経ってから振り返ってみると、えらく変わってしまったな…と。
そういった認識を持てること/持つこと、その事自体が大事なのではないかなと思うのです。
さて、そんな事を言った祖父は齢90を越えています。
振り返って我が身はアラフォーで、祖父の半分の年齢。物心ついてからの期間を考えると1/3程度の時間しかすごしていません。
同じ血を引くとはいえ、我が身にこれだけの余生を過ごす力があるとは思いませんが、そんな祖父と話をしていると、あともう1回くらい再起(人生をやりなおす程には十分な程)時間がある(のかも…)…とも言えそうな気がしました。
仕事柄、若くして亡くなっている方にも遭遇しています。
やっぱり人の世は一寸先は闇だと思います。
でも、もう一回やりなおせる!と決意することができる時間を感じることができるのもまた人の世です。
なんとなく、勉強して大学行って、就職しました。今ならもっと熟慮して色々なことができる…と思いたいし、思えます。そんな訳で、もう一回人生をやり直す気持ちで、知識を得て、形にしていきたいと考えました。
さて、何を求めて行くとしましょうか…