« 5月の園芸 | メイン | 巨峰のジベレリン処理 »

いままで音楽産業と呼ばれていたものは、ニセモノを売って稼いでいたんです。

2010年06月01日

いままで音楽産業と呼ばれていたものは、ニセモノを売って稼いでいたんです。

「いままで音楽産業と呼ばれていたものは、ニセモノを売って稼いでいたんです。」 日経ビジネスオンラインより。

「主な収入が生演奏なら、CDはタダで配ってもそれによってコンサートに客が来てくれればいい。そういう考え方をするアーチストが増えています。CDは1枚ごとにコストがかかります。何万枚も無料でばらまくわけにはいかない。ダウンロードのためのファイルをウエブサイトに置くだけなら、コストはただ同然です。スタジオで一回しか演奏していないのですから、そのコピーが何万とばらまかれても、アーチストのところで減るものは何もありません。レコード会社はそれでは困りますが、アーチストは困らない。著作権を振りかざして絶対にコピーさせないぞとガチガチにコピーガードをかけるより、ただで楽曲を配って、それによってコンサートによる収入を増やすことができれば、その方がビジネスとして有利になる場合も少なくないんです。同じCDを二枚買いはしませんが、気に入ったアーチストのライブなら何度も足を運びます。CDに入っている音楽は手軽に聴くことができますが、所詮コピーに過ぎない。どんな立派なオーディオ装置で聴いていたとしても、ライブ演奏にはかないません。CDはニセモノの音楽です。いままで音楽産業と呼ばれていたものは、ニセモノを売って稼いでいたんです」
いや、もう、小気味良いとしか言えません(笑)
音楽≠CDという事で、根本的に音楽を売るということはどういうことなのかを考え直さないといけないのでしょう。

思考を停止させて、CDの売上げだけ考えている。既得権はやっぱり手放したくないよね~って言っているうちはビジネスチャンスもないのでしょうね。

そして、記事は続けて、

「そうですよ。CDを買うのに2000円は出さなくても、ライブハウスには2000円を払ってます。海外アーチストのコンサートなら1万円出してます」

「メジャーレーベルへ流れていた金が、ライブハウスで1000円のCD-Rを売っているような、世間では名も知られないミュージシャンのところに、金の流れが変わっている」

「でも、そういうミュージシャンはプロとして食えているのか」

「それだけでは食えないかもしれない。でも食えなくちゃいけませんか?」

「いったいそれをプロと呼べるのか」

…面白いやりとりだなぁ~。
でも、「プロ」という定義からして元々は曖昧なもので、プロ=儲かるという図式も実は最近作られたものかも知れません。
ゴッホなど、絵の具にすら難儀する生活をしていました。
ルネッサンス期の画家はパトロンを見つけないことには、絵を描くということすら出来ない生活でした。

特に昔はそういった芸術的な趣味を持つ人は富裕層しかおらず、そこに取り入って生活できる人が限られていたのでしょう。しかし、現在は庶民でも芸術的な趣味にお金を割くことができるようになり、結果として、ニッチ市場のプロ~その活動だけで食べて行くことができる人が生まれてきたに過ぎない気もします。

であれば、本当は、
 プロ=プロ意識
なのかも知れません。
そこにお金がついてくる人は幸せ者…と。

Posted by りじんぐ at 20:01

About

2010年06月01日 20:01に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「5月の園芸」です。

次の投稿は「巨峰のジベレリン処理」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type