2011年08月25日
お盆に自分のルーツを訪ねて[ 残る者へ ]
昔は先祖がどうとか考えることはありませんでした。
なんせ、好きで生まれて来たわけではないし、この世に生まれて一番最初にする事が泣き声を上げる事…ってくらい、この世は辛い訳だし。。。
そんな私も、だいぶ歳をとって、何故か先祖の墓参りに行くようになりました。
なんででしょうねぇ~?
あまり深い意味は無いのかもしれないのですが、自分のルーツというものを意識する様になったという事でしょうか。
あと、生まれてきた事について、ある程度割り切りが出来たってのもあるかと思います。
さて、そんなこんなで今年も帰省でございます(車で30分かかりません)。
今は祖父(齢95)が一人で住んでいる山の家。田園風景が広がり、虫がうじゃうじゃ。嫁は足がすくんで動けない…という環境です。
斜面に棚田や畑があったり、りんごが植わっていたり…と、農作業をするには楽な環境ではありません。
しかし、発展途上国の人口が増大してくる将来を見据えると、自分もここで農作業をしないといけないのかな?と漠然と考えています。
若いうちはいいけれど、買い物に行くにも、医者に行くにも車が必要な村。。。
やったとして、本当に出来るかな?という心配と、いつまでやれるだろう…という心配。生きていくという事は心配の種には困らないようです。
さて、お盆というと昔の話が出来るチャンス!ということで、こういう機会でもないとなかなか見ることが出来ない、祖父の写真を見せてもらいました。
アルバムの表紙
祖父が属していた軍隊の略歴。連隊歌なんてのも載っています。
参考:wikipedia近衛歩兵第3連隊
その写真は、殆ど、軍隊の時の写真だったりしまして、世代を象徴していて泣けてきます。
写真は軍隊の同期と写っているものだったり、戦友○○君として一人だけで写っているものだったりしますが、戦友の写真の多いこと、多いこと。
訓練兵舎と、同期の訓練兵。銃を並べている所を見ると、現実に戦争があったんだな…と改めて思い知ります。
東郷平八郎による聖訓五箇条と、戦友(同郷人とか戦友とあります)。
食事風景とか、習志野一軒家付近中隊教練とあります。あとは戦友とか自分の写真等。
そして、一部の写真には後日書き込んだものでしょう「戦死」とあったり…
この写真の中の人もだいぶ亡くなったそうです(そして、戦っている相手も死んでいるのでしょう)。
生きていくという事は戦友との絆が重要だったという事でしょうか。
そして、その絆を見取って来たって事でしょう。
消えていった命。今もあったかも知れない命が、こうやって映っている…
多数の人が動員されて、相手を殺して殺されて、何人生き残るのか。
勝っても負けても失ったものは帰ってこなくて、寂しい思いがします。
それは戦っている相手も同じ思いでしょう。
戦争で生き残った人も、祖父の年齢を考えると、殆どの人が鬼籍に入ってしまっていることでしょう。
写真を見ても、何の写真なのか分からず、祖父に聞いて何の写真なのか、誰なのか初めて分かる状態。
今やこの写真の中で起こった事柄を実際に知る人は他にいないのかも知れません。
風化していく…って言うのはこういう事を言うのかも知れません。
尚、今回の写真は軍隊の訓練をしている時期のものが中心ですが、こういった写真は軍から配給されるのではなく、買うのだそうです。
この写真も埋もれてしまう前に、どこかに出してやりたいな…と思い、まとめてみました。
おまけ。戦後の写真。
セーラー服姿の祖父の娘(伯母)が萌えますな。
歳とった当人の顔を知っているだけに、時間は残酷だと改めて思い知ります(笑)。
やっぱり人に歴史ありですなぁ~