2013年02月10日
趣味としての農業[ ]
うちの実家では、田・畑・りんごを中心に農業をやっていました。過去には蚕を飼っていた事もあり、桑畑もありました。
で、まだ祖父が健在なのですが、流石に最近は農業をやる体力も無くなってきて、父(アラセブン)が農業をやっています。祖父は専業農家で育ってきた世代。父は兼業もあまりやらずに普通にサラリーマンをしてきて、退職後に農業をやっている世代。
そんな父のやり方が祖父は許せない様で、あんなやり方ではイカンと良く言っています。
聞いてみると、あの田はあれだけ取れる田なので、田の性能を100%発揮させないと、一人前ではないという考えのようです。
考えてみれば、昔は田の収量の何%かを税金として取られていたし、それが金銭で納める時代になっても、収量が上がらなければ生活もままならない。そういった時代を経てきた者にすると、田の性能をフルに発揮させるのは当たり前の事、と言いますか、やって初めて一人前だったのでしょうね。ある意味、生活に余裕の無い時代だったと言う事なのでしょう。
今の父は年金もあるため、無理に畑仕事しなくてもなんとかなる…と言う状況ですから、そんなに無理をしないのも当たり前。必要最低限が補えればいいと考えると、そこまでがんばらないのでしょう。
しかし、ここにはマニュアル化されていないノウハウが沢山あるのでしょうね。それが世代を一つ経ると失われていく。更に私の世代になるともっと色々な事が失われてしまうのでしょうね。
私自身は今はブドウに注力していますが、これも素人のお遊びにしか過ぎないのでしょう。
祖父は、父が桃を植えた時に、桃みたいに保存期間が短いのはダメと言いまして、確かにリンゴの保存期間はかなり長く冬の間の食料にもなります。桃は加工しないと保ちませんし、ブドウもワイン等に加工をしないと長くは保ちません。そう考えると、そのままある程度の期間保存可能と言うのはビジネスとして考えたときに非常に大事な事なんですね。
まあ、それでも、農薬等の必要経費以上に収穫出来ていますので、ささやかな楽しみなのかな?ブドウも買うと結構かかりますので、今年は数万円分くらいの収穫になりました。
ネットの知り合いにも分けたい所ですが、最近はネットの知り合いとのやりとりもご無沙汰になって来てしまいました。歳と共にネットのつながりがどんどんと希薄になって行っています。一抹の寂しさがぬぐえません。
さて、そんな訳で昨日、ブドウの剪定を行いました。巨峰の剪定枝は挿し木にして増やしてみようかと考えています。
もっとも植えるスペースが無いため、鉢植えになる予定。
そして、この後、3月に消毒をして、今年度スタートとなります。