2009年08月24日
2009年08月23日
弔辞 - あなたの死を悼んで、恋人や友人が弔辞を読んでくれる新感覚性格診断![ プロフィール ]
弔辞 - あなたの死を悼んで、恋人や友人が弔辞を読んでくれる新感覚性格診断!をやってみた。
2009年08月21日
ドストエフスキー「悪霊」に見る、幸福の定義[ ]
日経ビジネスオンラインの記事に「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから」というものがあった。
ドストエフスキーの著作は結構好きで、色々と読んだものだ。この悪霊も読んだ気がするのだが、内容を覚えていない。いや、これだけではなく他のドストエフスキーの著書も覚えていないのだから、雰囲気だけで読んで、内容は(難しくて?)頭に入らなかった…というべきなのだろう。
このコラムでは、「今の世の中は社会の方向感が定まりにくい世の中なので」と前置きした上で、
「何でもいい」のだから、動機もやる気も持ちようがない。
「何でもいい」のだから、本気で判断はできない。
何をどう判断しても、重みがない。
だから、気持ちや行動の方向が定まらず、いつも不安定だ。
こうしてぼくらは、熱中できず、やる気が持てず、判断もできなくなってしまう。
かつて、第二次世界大戦の時は戦争に勝つと言うために。高度成長期にあった日本は豊かになることを目指して働いた。そういった時代では逆に他の生き方(価値観)というのは許され難いものではあったのだが、何をしたらいいのかという事は明確に存在し、そこを目指すことで(その善悪はさておき)一体感があり、自分に迷いはなかったかと思う。
そういえば、ダイヤモンド・オンラインには中国での80后の話があった。
中国一人っ子政策の落とし子 劣化する新人類“80后”蔓延の深刻 | China Report 中国は今 | ダイヤモンド・オンラインで、ニート・無気力と化した1980年代生まれの状況がレポートされているが、その中に、
大学受験に向けてまっしぐらの学校教育は、「人間とはなんぞや?」「幸せとは何?」などを問う道徳哲学を歯牙にもかけない。小学校でも「道徳」の教科書は確かに配られるが、人間形成にはまったく役に立たない内容だ。
今の日本は物質的に裕福になり、精神的な束縛もなくなり、人は自由になった。
しかし、自由というのは何をしたらいいという規定さえも無くなった世界であり、何でもできる可能性を保持しつつ、やらなくてもいい世界。でも、だからこそ考えることだけはできる。延々と考えて、何を生み出すのかはそれぞれに問われる事なのだろう。
そういえば、これまた日経ビジネスオンラインにあった記事(だったと思うの)だが、人は何をしたらいいか…という所から出発して、生物学的には何を為すとか為さないというのはナンセンスという記事もあった。
結局のところ、どう生きたらいいのか…というのは人間が生きていく上での結論の無い命題で、自分自身で自分の結論を見つけるしかできない。
私自身は、昔ほど生に執着することはなくなったな…と思うのだが、ふと夜、寝る前に「ん?今、心臓が止まったら…」と考えると怖くなることがある。心臓が脈を打っていることは当たり前のことに思えるが、当たり前のことではなくって、いつ止まっても不思議ではない。
そしてそんな事を考えると、本当に心臓が止まりそうな気もして来てしまうし、夜はそんな事を考えてしまう時間でもある。
そこには、まだ、死ぬことは怖いと思う自分がいる。きっと、死んだら死んだで楽になるのだろうけど、獏とした不安感がある。
それはまだどこかに、生きたい。生きてしたい何かがあるから思うことなのだろう。
すると、生きている間は、生きていく目的があった方が楽であり、そのためにはドストエフスキーの悪霊の登場人物に倣って、理由を作り出してもいいし、羽生に倣って全てを初期化して判断してもいい。何にしても自分の中で目的が定まっているとそれはエネルギーになる。無から有を生み出すことが出来るのが人の良さということだろうか。
2009年08月19日
羽生同年代[ ]
将棋の羽生善治。昔から将棋が好きだったので、彼が奨励会にいる間から、名前は知っていて、将来大物になるという評判が高かった。
今や、だいぶ遠くへ行ってしまった様な気がするが、同い年なんだな。
さて、日経ビジネスオンラインはよく読むコラムなのだが、その中の書評、羽生かく語る。将棋と経済に共通する『勝ち続ける力』 ~飽和点でひらめくヒケツ:日経ビジネスオンラインの中に興味深い一文があった。
「記憶力は、プライオリティ低いですよ。いま、コンピュータがたくさんあるでしょう。だから、いいんじゃないですかね、人間は、覚えなくても(笑)。もう、人間は原始の姿に戻ればいいんです」
「前例のようなものをすべてきれいさっぱり忘れるか、頭の片隅に置いておくぐらいにするか。まっさらな状態で、先入観なしで見ることが、一番重要でしょう」
「飛躍的なことや突発的で突飛なことができなくなってしまうんですよ」
以前、羽生がランダムに駒が配置された将棋の対局をしていた事があった。
駒の位置がランダムだとかなり戸惑うに違いない。しかし、柔軟な指してで相手を圧倒していた。
普通にやっていては考えつかないことがどんどんと生まれてくる、この羽生の行動と、先の羽生の言葉が見事にリンクした様に思えた。
羽生がこの心境にまで達したのは常識的な事を頭にたたき込み、努力の末に辿り着いたからに他ならない。私のような者が、その言葉尻だけとらえて真似しても意味はないと考えるが、色眼鏡なしに物事を見ることが出来る眼というものくらいは努力出来そうだ。
2009年08月16日
同窓会[ ]
卒業後20年にあたる今年、高校の同窓会がありました。
当初、参加するつもりはありませんでした。それと言うのも、今さら20年前の事、思い出せませんし、何を話したらいいのかなぁ~と考えると…。
で、幹事には不参加の旨を伝えたのですが、幹事から「是非、参加して下さい!決して、マイナスになることはありませんよ!」と言われて、思い直して参加した次第です。幹事のAさん、ありがとうm(_ _)m
参加してみると、高校時代の話しってしないものですね(笑)
やっぱり、過去は過去、今は今、未来は未来。みんな、オヤジ・オバサンになっていて、年齢相応に歳を取っているという事に笑ってしまいました。
子供が3人くらい居る人が多かったかな。で、まだ独身の人もいたりして、それぞれの人生を謳歌している様です。先生も何人かは鬼籍に入ってしまったようでしたが、担任の先生は70歳で、まだご健在(年賀状のやりとりしているので健在なのは分かっていましたけれど)。でも、最近は手が震えて字が書けないんですよ~なんて話しを聞くに連れ、歳なのだな…と。
で、私は高校時代の事、殆ど何も覚えていないんですよ。
どうも、当時から、自分のやりたい事に真っ直ぐ向き合うけれど、興味のないことには意識を向けない…という傾向があった様で、高校生活そのもに興味が持てなかったのでしょう(笑)
今考えると、勿体ないことしたなぁ~と思います。もっと、興味が持てることを探す努力をすれば良かったなぁ~と。何をするにしても、もっと本気で生きていたら…と、ね。
高校の同級生にも会い、消息の確認など出来ました。
また、高校の同窓生で、前職の会社の同期にも会えまして、今の状況などを聞くことも出来ました。
特に、前職の同期で同じ部署に配属されたMさんに会えたのは嬉しい事で、今は、結婚されて千葉の方にいらっしゃる様で、大きくなったお腹が幸せを象徴している様でした。配属当時、彼女は毎日23時まで残業していたよなぁ~。私は23時までせずに、22時で帰っていたなぁあ~(22時から30分休憩時間となってしまうため、30分は勤務時間に入らず、それが勿体なくて何が何でも帰りました)。
しかし、そのMさん、同じ高校の同窓生だった…と今ごろ知る始末(笑)
小学校の同級生もいましたね。顔、そのまんまで、オヤジになっていました。
あと、中学の頃からかな、好きだった娘も来ていましたね。
中学の同じクラスで好きになって、高校も同じ高校に行けたけど、高校ではクラスは別。それっきりで縁はありませんでしたけれど、廊下等で見かけると、胸がキュンっとなったり、赤面した…なんて、甘酸っぱい思い出があります。差出人を書くことが出来なかったラブレターを書いた事があったなぁ~
彼女もオバサンに…。今さらなので、声はかけませんでしたが、幸せにやっていることでしょう。
こういう所、男の方がロマンチストで覚えていることなのでしょうね(笑)
でもって…
生き方って言うのは人それぞれなので、正解はありませんが、今思うともっと色々な事を知っておけば、もっと自信を持って生きていれば…と思います。
私にとっては、高校・大学というのは灰色の想い出で、何を為したとか、そういうものを思い出すことが出来ません。高校時代は当初、一学期に試験を忘れるくらいでした。一言で言うと、環境の変化についていけず、もがいていたのですが、環境に慣れるまでに時間がかかってしまい、心の中の写真には色が付いていません。
最初は420人中、400番くらいの成績で、数学の先生の黒板に向かって話すという教え方もあって、1年の時は、振り返ると損してましたね。それでも、その後は勉強するようになって、最後は100番きるまでは行きましたが、何のために勉強をするのか、将来なりたい職業まで意識することは出来ませんでした。
そして、大学に行きましたが、大学は大学で環境の変化に慣れるまで戸惑って、やっぱり1年目の成績はダメダメ。つか、大学の数学と物理難しすぎですよ。何の講義なのか分からずノート取っていました。単位落としたかな…(必修の講義なのに…)と思いましたが、必修故でしょうか、単位は取れました。
で、2年目以降は結構、予習・復習していたので、卒業時の成績は結構良かったです。でも、ここでもやっぱり何のために勉強をするのか、将来なりたいものは何なのか…という事まで行き着くことが出来ませんでした。
結局、私って、その先の目的を見失って色々とやっていたんだな…と思います。
勉強するという事は、成績を上げると言うことが目的なのではなくて、将来なりたいものになるため、それが今は分からないから、潰しが効くように、糧となるように勉強をしている筈なのですが、将来なりたいものを一切考えなかったんですね。
今、就職して思います。ようやくやりたい事、やりたかった事に頭を巡らせることが出来てきました。これを、あと20年前に考えることが出来たらな…と。
え?今からでも遅くないって?確かにその通り、でも、今となってしまうと、自分の夢も大事ですが、家庭を守ることも大事です。人は何のために生まれてくるの…?私を選んでくれた人のため…でもいいと思います。やっぱり、あんまり負担はかけたくないですね。
まあ幸い、選んだ職業に起因する時間的な余裕が現在はあります。その時間を有効に使っていきたい…と思っています。
人生って何かを為すには短いですね。
何も為さないには長い。
でも、人は飽きやすいので、人生に倦む頃に死ぬことが出来る…というのは幸せかも知れません。
人生に倦む…なんて言っている事からして、器が小さいってのはバレバレなんですけれども、ま、仕方ないか(笑)
2009年08月11日
研修[ ]
職場の研修がありました。自分の意見を主張しつつ、うまく会議を誘導するには!?という研修です。
研修での演習だと楽ですね。
自分の発言に責任持たなくていいので、如何様にも意見を誘導していける。
特に私なんぞ、理屈っぽいから相手の意見を潰しつつ、誘導する事が出来ました。
…でも、それって研修だからなんですよね。
自分の言った事に対する責任の重さが実務と研修では全く異なります。そういうプレッシャーがかからない中では何でも出来る。でも、そんな所で出来ても意味はない。自分に重要なのはプレッシャーをかける研修なのだな…と思います。
まあ、それはさておきですね、会議で色々としゃべるコツですが、自分に対して自信を持つことです。
自分の主張が正しいか正しくないかは、会議の出席者も相互で判断してくれます。でも何より自信を持って話さないことには始まらない。いい話しだって聞いてもらえしません。
最近思うのですわ。
自分は自分に対して自信持って何かして来たことがあるのかな?と。
もっと自分に自信を持ってもいいんじゃないかな?自分はもっと出来る奴なんだと思うことが大事だったんじゃないかな?と。
人は自分がなりたいと思う人間になるのであって、望む形がなければそこに辿り着けない。もっと、色々な視野を持って、人の意見を汲んで、自分にフィードバックしていく…。今の自分を否定ばかりしていたら、目標に向かう前に疲れてしまいますね。自分のいい所をもっと認めること、重要です。
最近はビジネスコラムを読むようになり、人の考えに触れることが多くなりました。すると、自分の小ささも分かりますし、辿り着かなければいけない場所というのも見えてきます。
ああ、自分の視野は狭かったな…と。
現状維持のリスクと、変化によるリスクを計量して天秤にかける思考習慣を持ちましょう。その際に、私たちが見落としやすく、低く見積もりがちな現状維持のリスクをしっかりと把握すること。かつ過大に見積もりがちな変化によるリスクをできる限りの情報収集によって客観的にとらえること。この2点に気をつければ、さほど大きく間違わずに判断できるようになります。
何もやらない虚無より、たとえ失敗しても傷心の方がはるかに貴いのだよ
「ビジネスパーソンは、自分を探すのではなく、自分を創るべきだ」
「自分の内面から何かを探し出そうとしてもでてくるのは不安ばかり。いっそのこと、自分について考えることをやめてしまう。例えば僕が街の看板の文字を写真に撮って、それを組み合わせ般若心経を完成させるみたいな一見無意味なことにチャレンジする。こうすると、一歩街に出ればそのことに集中して自分のことなんか考えている暇がなくなる。心の健康には、自分なくしです」