2012年02月28日
検査入院してきました[ 残る者へ ]
人間ドック中に意識を失ってしまい、原因調査のため、検査入院となりました。
疑わしきは心臓。
検査入院とは言え、病院に入院して数日過ごしてきましたが、病院はなんだか寂しい場所ですね。
当方の隣は50代とおぼしき男性が、ペースメーカーを使用しつつも、不整脈が止まらないという感じ。
その向かいは、年齢不詳ですが、おそらく70~80代の男性で、輸血をしていて、口内出血が止まらない模様。
更に、この階の処置室からは叫び声が延々と聞こえてくる…
嫁曰く、痴呆症なんだろうね…との事で、病院に行った初日はそんな環境にいるだけで、ゲンナリとしてしまいました。
お医者さんも、病状が良くなって見送れる事がどれだけあるのか…と考えると、因果な商売だな…とも思った次第。
さて、そんな状況で、自分はどこがおかしいのかな?と考えますと、今回の検査でも数パーセントの確率で軽い脳梗塞が起こる可能性もあるし、更に治療となるともっと高い確率で問題が発生する可能性があるとのこと。
で、自分にこういったトラブルが発生して、死んだらどうなるかな…と考えるわけですよ。
まあ、自分が死ぬのはまあ、仕方がないとして、でもそれは残された人には限りなく不幸な事だなぁ~と。
特に、嫁などはこれから一体どうなるのか…と考えると、いいイメージが湧いてこない訳で、人と結婚するという事は、その人の人生を背負うという責任を伴うのだな…と改めて思いました。
人を不幸にする位なら、最初から結婚などしない方がいいのだろうな…とも。
そんな訳で、守るものが出来てしまうと簡単には死ねないな…というのが、今回の感想。
自分が相手を看取るくらいの気持ちでいないといけないですね。
しかし、平均年齢を考えるとこちらの方が早く死ぬのが一般的であり、やはり相手に寂しさを残してしまうのか…と思うと、一抹の寂しさはぬぐえません。
2011年12月19日
怒られるということ [ 残る者へ ]
歳を取ると怒られる事が少なくなる。
…と、言うか、なくなる。
怒られるという程、強いアクションでなくとも、アドバイスを年長者からもらう事もなくなってくる。
楽なのだけれど、自分が成長するためのヒントは自分で得るしかなくなり、ある意味大変になる。
怒られるにしても、何故怒られたのかが分からず怒られていると意味がなく、自分の非を認めつつ、反省出来るかどうかが大事になってくると思う。
さて、かく言う自分が就職後に怒られたのは…意外に少ない。
一番覚えているのは、最初に就職した会社。
小林某さんに、「会社なんかやめちまえ!」と怒られた。
この時は、社会人初日のレポートを挙げたときだったかな。レポートの書き方(書いた内容)がなっていないという事でした。
その人は自分のトレーナーで、その後、議事録等を作っては真っ赤に赤ペンを入れて返してくれた人でした。
今で言う赤ペン先生ですな(笑)
で、その数年後に言われた通り会社を辞めました…(ぉぃ
いや、別にそれが原因だった訳でもなんでもなく…
仕事そのものは普通だったのですが、体力がねぇ…。毎日朝8時から夜の10時まで(それでも早く上がるほう)ってな生活していたら、体に変調を来たしまして、ああ、こりゃダメかも…と思ったのが理由です。
新しい会社で、当時の上司が40代が殆どだったのですが、40代で体壊しているのを見ると、明日の我が身を見る思いでした。
で、転職をしまして、新しい所ではあまり怒られた記憶がないなぁ…
こちらが、失敗して、上司にしりぬぐいをしてもらった事がありましたが、その時は反省して勉強したという感じで、怒られながら覚えたって事は殆どありません。
そして今回、とある会の忘年会がありました。
ある意味、利害関係のない者が集まる忘年会です。
その席で色々と(かなり熱く!)アドバイスを頂きました。何れも私よりも年上の方で、リタイヤした方ばかりです。現役での生活を終えられての実感がこもったアドバイスです。
何年後かの私のためにここに書き残すことにします。
石坂某さん
一日一日を精一杯生きてください。
定年退職したら時間が出来るなんて考えていてはいけない。忙しい今だからこそ、やらなければいけない。忙しい時こそ華ですよ!
夏目某さん
どんどんとアピールをしていかないと行けない。今の世の中主張をしなければ、目立つこともなくどんどんと埋もれてしまう。主張をしていくことこそ、重要。そつなく物事をこなすのは当たり前の事なので、もう一つその上を目指さないといけない。どんどんと提案型でアプローチをしていくのが重要。いつまでもドサ回りしていちゃいけない!
また、家族のために働いてください。働いて、出世をしていくことで、給料も上がり、ひいては年金も増える。年金は標準月額報酬に影響されるし、遺族年金も同様。家族のために働くことが、自分の元に返ってくる。
松倉某さん
○○(役職名)を目指すくらいに働く位で丁度いい。どんどん頑張れ!
…だそうで(^^;; 楽しちゃイカンのかなぁ~(笑)
# 一部、意訳して書いている所もあります。
それにしても今は親分的な人が減った感があります。
今の職場の上司だって、自分の目から見て欠点だらけ。よくあれで~と思う時もあります。
ドンと座っていて任せろ!ってタイプいないしねぇ~
自分は今、部署として、下がいない部署なので、指導する立場とは違いますが、下に見本にされる様な人生歩まないといけないですね。
2011年08月25日
お盆に自分のルーツを訪ねて[ 残る者へ ]
昔は先祖がどうとか考えることはありませんでした。
なんせ、好きで生まれて来たわけではないし、この世に生まれて一番最初にする事が泣き声を上げる事…ってくらい、この世は辛い訳だし。。。
そんな私も、だいぶ歳をとって、何故か先祖の墓参りに行くようになりました。
なんででしょうねぇ~?
あまり深い意味は無いのかもしれないのですが、自分のルーツというものを意識する様になったという事でしょうか。
あと、生まれてきた事について、ある程度割り切りが出来たってのもあるかと思います。
さて、そんなこんなで今年も帰省でございます(車で30分かかりません)。
今は祖父(齢95)が一人で住んでいる山の家。田園風景が広がり、虫がうじゃうじゃ。嫁は足がすくんで動けない…という環境です。
斜面に棚田や畑があったり、りんごが植わっていたり…と、農作業をするには楽な環境ではありません。
しかし、発展途上国の人口が増大してくる将来を見据えると、自分もここで農作業をしないといけないのかな?と漠然と考えています。
若いうちはいいけれど、買い物に行くにも、医者に行くにも車が必要な村。。。
やったとして、本当に出来るかな?という心配と、いつまでやれるだろう…という心配。生きていくという事は心配の種には困らないようです。
さて、お盆というと昔の話が出来るチャンス!ということで、こういう機会でもないとなかなか見ることが出来ない、祖父の写真を見せてもらいました。
アルバムの表紙
祖父が属していた軍隊の略歴。連隊歌なんてのも載っています。
参考:wikipedia近衛歩兵第3連隊
その写真は、殆ど、軍隊の時の写真だったりしまして、世代を象徴していて泣けてきます。
写真は軍隊の同期と写っているものだったり、戦友○○君として一人だけで写っているものだったりしますが、戦友の写真の多いこと、多いこと。
訓練兵舎と、同期の訓練兵。銃を並べている所を見ると、現実に戦争があったんだな…と改めて思い知ります。
東郷平八郎による聖訓五箇条と、戦友(同郷人とか戦友とあります)。
食事風景とか、習志野一軒家付近中隊教練とあります。あとは戦友とか自分の写真等。
そして、一部の写真には後日書き込んだものでしょう「戦死」とあったり…
この写真の中の人もだいぶ亡くなったそうです(そして、戦っている相手も死んでいるのでしょう)。
生きていくという事は戦友との絆が重要だったという事でしょうか。
そして、その絆を見取って来たって事でしょう。
消えていった命。今もあったかも知れない命が、こうやって映っている…
多数の人が動員されて、相手を殺して殺されて、何人生き残るのか。
勝っても負けても失ったものは帰ってこなくて、寂しい思いがします。
それは戦っている相手も同じ思いでしょう。
戦争で生き残った人も、祖父の年齢を考えると、殆どの人が鬼籍に入ってしまっていることでしょう。
写真を見ても、何の写真なのか分からず、祖父に聞いて何の写真なのか、誰なのか初めて分かる状態。
今やこの写真の中で起こった事柄を実際に知る人は他にいないのかも知れません。
風化していく…って言うのはこういう事を言うのかも知れません。
尚、今回の写真は軍隊の訓練をしている時期のものが中心ですが、こういった写真は軍から配給されるのではなく、買うのだそうです。
この写真も埋もれてしまう前に、どこかに出してやりたいな…と思い、まとめてみました。
おまけ。戦後の写真。
セーラー服姿の祖父の娘(伯母)が萌えますな。
歳とった当人の顔を知っているだけに、時間は残酷だと改めて思い知ります(笑)。
やっぱり人に歴史ありですなぁ~
2010年02月26日
来たる日[ 残る者へ ]
妻の突然死から不眠、うつに!? 抗うつ剤でも治らない“落ち込み”の正体に妻を亡くしたLさんのケースが紹介されています。その中で、Lさんは精神神経科に通い言葉をもらいます
また、世界的な歴史本ブームの背景とはにて、セネカの言葉として
また、悲劇が起こりうる可能性を常に忘れるな、とも説いた。父親であるならば、子供たちの死を常に意識せよ。それは決して悲しみを予測するためではない。今現在、子供たちといられることがどんなにすばらしいかを噛みしめ、今のこの瞬間に意識を集中すること、そしてこの意識こそが今後いかなる災難に見舞われたとしても、気持ちをしっかりと持ち続けるために必要なものだ、と。
時間とは我々にとって最も重要な資源である、とセネカは語る。不要な贅沢のために時間を無駄に費やして、現在のこの瞬間を最大限に生き切れないことほどの悲劇はない。セネカは、貧乏になれと言っているのではない。まさにその逆である。今のこの瞬間に集中して時間を無駄にしない人物こそ、世に言う成功者となれるのだ。現実を見つめ、自分の存在の小ささを認め、ただひたすら精進した結果なのだろう。
ふっと忘れてしまうのです。
今日が明日も続くような日である事を。
明日は今日とは違う日です。必ず来るという日ではないのです。
そして自分も含めて「死」というものは必ず来るのです。
だからこそ、今を大事に生きねば…と、改めて思うのです。
2009年11月14日
「おもしろいこと」の大半を知らないまま死んでいくことに、少しは焦ろう。[ 残る者へ ]
日経ビジネスオンラインより「おもしろいこと」の大半を知らないまま死んでいくことに、少しは焦ろう。
今回、初めて人間ドックを受けたところ、要再検査となりました。
胃にポリープがいくつかあるそうで…
また、超音波検査でも他の内臓にポリープがあると。
当初、バリウムでの検査だったため、後日、胃カメラを飲み確認したところ、1cm程度のポリープが1つ。他に2つ程度のポリープがあり、その場では組織を採取して検査結果を待つことになりました。
この間に考えたこと。
胃に複数ポリープがある、癌?転移して、他の内臓にもポリープ?
考えてみると、最近体力なくなって来ているし…
闘病生活を数年した後にこの世とはお別れかな…
その時に一番考えたのが、嫁さんのことでした。
自分が闘病~死ぬまでに数年かかるとすると、結構いい歳になってしまっていて、その後、すぐに再婚も出来そうにはない…となると、彼女の人生をだいなしにしてしまったかな…と、早死にすることの中途半端な責任の果たせなさを痛感。
早死には罪だなぁ~と。
どうせ早死にするならもっと早い方(独身のうち)が?(これはこれで親不孝だが)
で、まだうちらには子どもがおりませんで、余命宣告された後に子どもをつくるべきなのかどうか…とか考え始めると。
嫁さんがかなりの泣き虫なので、子どもがいた方が生きていかざるを得ないと言う点で、力にはなるのだろうけど、再婚の妨げになりやすい面もあります。
私の遺産の相続についても、嫁さんがこの後どうするかで変わって来るかな?と考えて、不動産と動産の相続先について、どう遺言を書こうかと考えていました。嫁さんが実家に帰るなら不動産は親に相続させた方がいいだろうけど、今までのコレクションは処分だなぁ~とか。
…そんなこんなををぼんやりと考えていましたが、検査結果が出るまではあまり考えないようにしていました。
でも、自分では意識していない様にしているつもりでも、やっぱり気になることである様で、ストレスがかかっているということを実感。
死ぬときって、色々と痛いのでしょうけど、最後は眠くて眠くて目が開けられないのかな…
…なんて事も考えていました。
あと、今となっては優先順位が低くなっていますが、データベースの処遇も悩みどころ。
結局、考えているのは今の管理者権限を持っている人には、そのままデータベースを配布し、そうでない方にはVector等での販売をしたらいいのかな?程度にぼんやりと考えています。
ただ、このデータベースもデータ入力システムを1から構築するとなるとかなりの手間がかかります。
参照系だけなら、そんなには手間がかからないとは思いますが、参照系のみ=死んだデータベースであり、後は陳腐化していくのみ。入力プログラムも配布すべきかどうか。しかし、入力プログラムは環境に依存するものでもあり、また、きれいな形でバックアップの取得もしていないのです。
どうやって何を遺していくのか…
いつ何があるか分からないのがこの世の常です。不測の事態に備えておくことの重要さを改めて感じました。
…まあ、それも、自分がいなくなった後の世界。どれだけ意味があるのかどうかは分かりませんけど(笑)
「『生きていくということ』は亡くなる人を送ることなのです」